tatsuro1973の日記

歌舞伎、文楽、落語を中心に古典芸能について綴ろうと思います。それと日々の暮らしについてもです。

毒親からの手紙

土曜日の今さんの講演会で印象深いものとして茶話会での年輩の女性の

娘に宛てた手紙、本人は毒親からの手紙としているが 自分としては

娘に告げられなかった手紙 本人の告白と感じる。

自分はスタッフとして後ろから今さんの講演を聞いていたのでその女性をどことなくみていた小柄で華奢であるがどこか品のある女性、熱心に今さんの講演をメモしていたのを覚えている。

茶話会の最中、今さんの呼びかけで女性の朗読が始まる。

今さんからの話では午前中は神戸の長瀬さんの毒親への手紙の朗読会にも来られていて

引き続き大阪の講演会に来られたとのこと。

読んでもらう。

娘に対しての自分の子育てに対しての悩み 葛藤がそこに書き綴られる。

自分子育てに自信がないのにあるかのように振る舞い、娘に対して手を挙げたりなどの

虐待まがいをやってきたこと、そうした親の仕打ちに娘が耐えて立派な一人前に育ってくれたことに感謝をしつつ、娘に自分は何をやれてこれたのかという自問 葛藤 苦悩が女性の言葉の中から感じる。

口調はいいとは言えないが、ことばことばに力強さが感じられた。

胸が熱くなった。

今さんの著書 毒親への手紙を読んでいると毒親は子供に対して絶対的な存在として振る舞い 子供を扱う、物として。

そこにはなんら親としての情は見ることはない。

手紙を読んでいて親からの虐待を受けつつもせめて自分がやった虐待に対して何らかの謝罪か後悔があってくれれば親をどこまでも恨むことはなかってであろうという内容の手紙はいくつかあった。

手紙の内容から判断して娘に自分がやった子育て 虐待に後悔や詫びはいえてないのかもしれない。この場で手紙の形式で話すことで自分の娘にやったことへの贖罪をはたそうとしたのかもしれない。

あとあと考えてみてこの虐待の問題の底深さを感じずにいられなかった。

生真面目そうな容姿からしてそれだけ厳しく育てたのかもしれない。

娘は自分のやったことにたいしてしかっりとした女性となり離れていったのかもしれない。

救いは自分で抱えきれない苦悩を手紙の形で外に助けを求めてきたこと。

今度は自分たちがどう受け止めていくか。

個々が抱える悩み 苦悩を受け止める 聞いてもらえる何かがあればと

ここ2,3日考えている。