児童相談所の危機管理
最近、気になっていることで児童虐待についてである。
細かいことはよくはわからないがフリーライターの今一生さんの講演会などを通じて、子供のころに虐待を受けて今でもその後遺症に苦しんでいる、虐待サバイバーと言われている人たちと知り合うことができた。
あと今さんの虐待サバイバーが親にあてた手紙の本などでこども虐待がいかなるものかを垣間見た。メディアに報道されているこども虐待というものは軽いほうかもしれない。手紙の内容が深刻で報道されることは難しい。というのは性的虐待がこども虐待のほとんどを占めている。毒親への手紙も性的虐待に関するないようのものが多い。
野田の虐待で女の子が親に性的虐待を受けたとの記事があるがこれはこども虐待ではよくあるほうである。
私個人として去年、今さんの講演会にスタッフのメンバーとして参加したりしてこども虐待については付かず離れずでかかわっていきたい。
最近、目黒のこども虐待死からこども虐待についてはネットであれ、メディアの記事であれチェックはしている。
今回、札幌でこども虐待死があったが、これについても児童相談所のコメントを読んでいると対応の甘さというコメントで説明している。
目黒についても、また野田の事件についても同じような見解でなされている。
気になることとして児童相談所の危機管理というものがどうなっているのかである。
こどもの虐待の危険度に応じてどのように対応していくのか、ランク付けなりマニュアルというものがあって対応できたかどうか、児童相談所のコメントを見ている限り検証のしようがない。
メディアの報道についても児童相談所のコメントで報道打ち切りといったケースがほとんどで野田でも目黒でもいえる。
親と児童相談所のやり取りについて、児童相談所が何らかの対応をしようとしても親の意向でこどもに会うこともできなければ、できないとしても児童相談所側が何か強権を使えるかというばできないでいる。
周りは周りで、通報なり親は他と比べておかしい言ったコメントがあるがこれはこの事件を他人事のようにとらえていると感じなくもない。
自分の中ではこれらの人々は、ナチスのアイヒマンの思考とそれほど変わらない。社会なり毒親たちに責めは追わせるべきで自分には何ら責めはないのであると。
児童相談所が親に強権を振るえないのは民法の親権が立ちはだかってなすすべがないのが現状である。児童相談所がこどもの虐待死の原因を対応の甘さでコメントしているのはこうした民法の親権問題が見え隠れするのがわかる。
虐待のこどもを他人が匿ったとしても親が誘拐と言ってしまえば、匿った他人が犯罪者として問われる、これがこども虐待の現状といっても過言ではない。
こども虐待の解決にむけてのカギは民法の親権に手をつけれるかどうかにかかっている。今さんが講演会で述べているように、親以外に何人かで親権を分け合うことができれば、こどもが虐待にあったとしてもこどもは他の親権を持っている人のところへ逃げることができる。いまこどもの現状では虐待があったとしてもこども逃げることろはどこにもない。こどもが家出とかするのはこどもに問題がというよりも親からの虐待を逃れるための生存戦略の一つといってもいい。
これは虐待を受けたサバイバーから聞いているのは間違いではない。
児童相談所がこども虐待についていかなる危機管理がなされているのかそれを知りたいそれがいまの私の関心ごとである。
今年も大阪では今さんの講演会を企画している。これを契機にこども虐待について関心をもってほしい。
最近は自分のまわりしかものを見ない人が多いです。