tatsuro1973の日記

歌舞伎、文楽、落語を中心に古典芸能について綴ろうと思います。それと日々の暮らしについてもです。

6月26日の日記 野田の虐待事件の母親の判決について

昨日は午前中は血糖が朝で243と高めに動く。

そのせいか、一日すぐれない日々が続く。

夕刊こなして、塾の仕事を一コマこなしていく。

野田の児童虐待の母親の判決が下る。

執行猶予のついた懲役刑であった。

この母親も夫の前ではDVを受けていて娘が虐待を受けいていてもなすすべがなかった。

児童相談所は家族とのやり取りの中で娘同様に母親も救うことができなかったのかどうか考えてしまう。

児童相談所は対応が余ったかとのコメントでこの事件の幕引きを模索しいるみたいであるが、せめて今回のケースにおいては今後のためにやり取りなどを公開してもよかったのではないかと考えてしまう。

児童相談所にも親に親権の前にはなすすべがないのかもしれない。

すくなくとも親権の停止は2年間は児童相談所の権限を行使できるわけであるのだから今回のケースについてはそれが可能であったどうか、今回の場合、何らかの形で検証はしてほしいと思う。

私の知り合いの尾野里梨さんが今回の野田の虐待について同人誌で野田市の教育の内部について同人誌にまとめているが

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今回の案件についてあまり行政としては対応していないのが見えてくるし、行政としての処罰についても一名くらいの更迭で事件としての終結を図っているところがみられる。児童虐待についての緊急時の48時間ルールについても、48時間の根拠が見いだせていないまま、行政側のルールとして定着している。

最近の札幌の児童虐待も似たような経緯がうかがえる。

ここ一年くらい児童虐待が何かと騒がれているが。行政側の対応はそれほど変化していないのが見えてくる。

マスコミやネットを見ていても児童相談所の機能や人員を強化すればどうにかなるのではないかとコメントをしているが私にとっては疑問符が付きまとう。

児童虐待で親権の停止などそれなりの権限があっても行使できてないのに権限や人員が増えたところでどうなるのか、個人的に児童虐待を見てきたものにとってどうなのかと感じてしまう。

虐待の悲劇の多くは行政が介入しだしたときによく起こる。

野田にしても札幌のケースにしても同様に行政が介入すると相手に勘繰られたときに親に拒否されて虐待死にいたるケースがある。これに対して行政なり私たちがどう向き合っていくのか考えていななくてはならないと思う。

マスコミやネットのコメントを見ている限りにおいては児童相談所に丸投げしてしまえばどうとでもなるとも読み取れなくもない。

児童相談所の介入は個人的は好きにはなれない。

簡単に家族のことに国家が容易に介入しかねからである。

児童虐待は女性、貧困、社会福祉など複雑に混ざり合っている。

こうすればどうにかなるとかの解決で済む話ではない。

一つの解決が他にどのように影響を及ぼしているのかを考慮して取り組んでいかないと

前には進まないと思う。