tatsuro1973の日記

歌舞伎、文楽、落語を中心に古典芸能について綴ろうと思います。それと日々の暮らしについてもです。

今年の年始はゆっくり過ごしている。

今年は仕事を調整してゆっくり過ごしている。

晦日は朝刊を配り終えると家に籠ってごろごろ過ごす。

時にはボーと過ごす時間も必要であることを感じる。

元旦は2時過ぎに起きて朝刊の配達。

元旦の新聞が年々薄くなっていることを実感する。

電子版と紙との共存はうまくできないものか日々考える。

現状は高齢者の読者が多く若い人の購読はほとんどない。

昼過ぎに梅田に出て映画を見る。

ファション デザイナーのヴィヴィアン ウエストウッドの生涯をドキュメントした作品。山あり谷ありの人生であるが自分が生きていくために自分らしさを求めて生きていくスタイルが好感を持てる。

2日は前日から頭痛で苦しむが松竹座に歌舞伎の初日を拝見。

土屋主税 河庄と成駒屋所縁の演目が並ぶ。

見ていて楽しめた。

河庄の壱太郎の小春の演技にこのごろの彼の充実ぶりがうかがえる。

家に戻ってぼんやりと過ごす。

今日はいろいろ書き物をこなしてから日本橋文楽劇場

文楽の初日。

ここ数日は結構充実しているかも。

師走の一日

昨日 一昨日 ここ数日は仕事のペースを調整しながら過ごしている。

弁当屋の配達をこなしつつ 正月の買い物などをこなしていく。

今年の師走の過ごし方はうまくいった方である。

塾以外で他の仕事を請け負ったためである。

あとは映画を見に行く予定。

これは作家の池波先生がエッセイで師走 大晦日を映画見て年を越していくという文を読んでからあやかっている。

先生は年末の仕事を調整しながら年の瀬をゆっくり過ごしていた。

先生は元旦から仕事をこなしていた。

ここ数日の自分を振り返りつつ今年の暮れの過ごし方はうまくいったと感じる。

起業にむけて

昨日は 昼間は弁当屋の配達、夕刊のあと西九条にて塾の講師。

塾も今日で今年はひとまず終わり。

今年は年末年始はゆっくりできそうである。

来年に向けていくつかやっていることがある。

一つは高校 大学受験に向けての塾。

ツイッターで募集をかけている。

インプレッションは日200~300あるが問い合わせはない。

これは気長にやっておいたほうがよさそうだ。

次はCrowd Workを使ってライティング関係の仕事を探している。

いくつか応募してタスク形式で説明文を書いたり テスティングといって

文章を書かせて契約できるかどうかテストされたりしている。

いろいろなルートを使って稼げる仕組みを作り出そうとしている。

軌道にのれば雇われずに自分のペースで稼げるようになる。

自分が好きなことでお金になる。

挑戦はやるだけやってみないとわからないもの。

来年はおもしろくなりそうです。

 

 

 

12月25日の日記

昨日はイヴで京都の南座で顔見世。

今日は昼前に歯医者。

歯の根の治療がはかどらない いつになれば終わるのか。

夕刊配って 西九条で塾。

冬季講習の最中であるが淡々と普段通りのことをこなす。

クリスマスもなにがどうなるわけでな普段通りに過ごしている。

普段通りに生きてくことの大切さを感じるクリスマスかな。

毒親からの手紙

土曜日の今さんの講演会で印象深いものとして茶話会での年輩の女性の

娘に宛てた手紙、本人は毒親からの手紙としているが 自分としては

娘に告げられなかった手紙 本人の告白と感じる。

自分はスタッフとして後ろから今さんの講演を聞いていたのでその女性をどことなくみていた小柄で華奢であるがどこか品のある女性、熱心に今さんの講演をメモしていたのを覚えている。

茶話会の最中、今さんの呼びかけで女性の朗読が始まる。

今さんからの話では午前中は神戸の長瀬さんの毒親への手紙の朗読会にも来られていて

引き続き大阪の講演会に来られたとのこと。

読んでもらう。

娘に対しての自分の子育てに対しての悩み 葛藤がそこに書き綴られる。

自分子育てに自信がないのにあるかのように振る舞い、娘に対して手を挙げたりなどの

虐待まがいをやってきたこと、そうした親の仕打ちに娘が耐えて立派な一人前に育ってくれたことに感謝をしつつ、娘に自分は何をやれてこれたのかという自問 葛藤 苦悩が女性の言葉の中から感じる。

口調はいいとは言えないが、ことばことばに力強さが感じられた。

胸が熱くなった。

今さんの著書 毒親への手紙を読んでいると毒親は子供に対して絶対的な存在として振る舞い 子供を扱う、物として。

そこにはなんら親としての情は見ることはない。

手紙を読んでいて親からの虐待を受けつつもせめて自分がやった虐待に対して何らかの謝罪か後悔があってくれれば親をどこまでも恨むことはなかってであろうという内容の手紙はいくつかあった。

手紙の内容から判断して娘に自分がやった子育て 虐待に後悔や詫びはいえてないのかもしれない。この場で手紙の形式で話すことで自分の娘にやったことへの贖罪をはたそうとしたのかもしれない。

あとあと考えてみてこの虐待の問題の底深さを感じずにいられなかった。

生真面目そうな容姿からしてそれだけ厳しく育てたのかもしれない。

娘は自分のやったことにたいしてしかっりとした女性となり離れていったのかもしれない。

救いは自分で抱えきれない苦悩を手紙の形で外に助けを求めてきたこと。

今度は自分たちがどう受け止めていくか。

個々が抱える悩み 苦悩を受け止める 聞いてもらえる何かがあればと

ここ2,3日考えている。 

 

今日はゆっくりと

土曜日は今さんの講演会のスタッフで

日曜日は弁当屋で一日仕事。

今日は昼過ぎまでのんびりしている。

ここしばらくの疲れが出ている。

横になりつつ時間を過ごす。

もうすぐしたら顔見世見に京都にお出かけ。

長いこと京都で顔見世を見ているがクリスマスで見るのは初めて

しかもイヴで

明日から週末までばたばたとなる。

12月22日の日記 今一生さんの講演会

土曜日

今さんの講演会の日

午前中に配達の仕事があったので会場の中央区民センターに到着したのは

13時30分を回ったところ。

会場の案内をしたから14時になったうちのスタッフの手紙から始まる。

今さんの講演 質疑応答などで2時間ほど。

スタッフ含めて40人を超える。

場所を移して茶話会。

それで講演に来られた方で親から娘に宛てた手紙を読んで頂く。

娘の子育てについての試行錯誤がそこに書き綴られる。

娘への虐待 自分ではどうすることもできず やってしまった苦悩

誰にも告げる 相談することもできず 悩む

たどたどしさがところどころでる朗読であるがことばひとつひとつが

胸を打つ。

茶話会のあと打ち上げ。

メンバーといろいろと話して過ごす。

来られた人のなかにスタッフとしてやりたい人が何人か出る。

今回スタッフとして講演会を手伝わせてもらうが

自分の中に得たものもあるが課題もある。

企業や政治家などの支援を得られなかったこと。

早くから立ち上げて茶話会などでいくつかのコミュニティを作りながらスタッフを募り

企業や政治家 行政の支援を得ていく。

資金調達

大阪は早く目途がついたが他のところではぎりぎりで賄ったところが多い。

よりスムーズに集めていくにはどうすればいいか。

茶話会などを開いていくことでスタッフやコミュニティといった組織を作り

拡大していくこと虐待をなくしていければ

まだこれからのことはわからない。

しばらくはのんびりしたいなと。