8月28日の日記
午前中は掃除やブログの書き込みなどして過ごす。
雨なので買い物などの用事をこなせない。
夕刊配って塾の仕事をこなす。
午前中は九州の大雨の報道で持ちきりである。
9月 歌舞伎座 秀山祭
9月の歌舞伎座は恒例の秀山祭、これに三世中村歌六の追善が加わる。
秀山祭は初代中村吉右衛門の功績を顕彰して、その芸を継承する目的で始まる。
因みに当代は初代の孫で二代目に当たる。
三世中村歌六は初代中村吉右衛門の父に当たり、17世中村勘三郎、三世中村時蔵の父にあたり、吉右衛門の播磨屋、勘三郎の中村屋、時蔵の萬屋の祖に当たる。
今の中村屋の勘九郎、七之助、萬屋の獅童、隼人などはたどっていくと三世歌六でつながってくる。
演目も初代中村吉右衛門に所縁の演目が並ぶ。
昼の部は幡随院長兵衛は町奴と旗本奴、町の侠客と旗本との対立を描いた作品で、黙阿弥の作。
見どころは長兵衛の内で旗本奴の首領の水野の呼ばれる、これは水野の罠で何らかの口実をつけて長兵衛を殺そうとする 長兵衛と妻お時、子分たちとの別れ。
殺されることがわかっていても町奴のプライドを守るために家族や子分にあとを託す。
別に湯殿の長兵衛といわれるのは、長兵衛が水野の風呂場で討たれることからくる。
沼津は荒木又右衛門の伊賀越の敵討ちを題材にした作品で、敵討ちが当事者だけでなくその家族、家族に関係したその他の人々をも巻き込んでいくストーリー。
年老いた雲助、荷物持ちの平作が呉服商の重兵衛の荷物を持ったことから縁から知り合うが、実の親子、敵討ちの敵 味方に平作、重兵衛がそれぞれに関係者であることが分かる。そこに悲劇が襲う。
これに舞踊のお祭りが付く。
夜は寺子屋から始まる。
菅丞相の息子、菅秀才を守るために、菅丞相の世話をしていた白太夫の三つ子のひとり松王丸が自分の息子を犠牲にするストーリー。
松王丸、その妻の千代の苦悩、主君の息子を守るためとはいえ、他人の子供を手にかける武部源蔵とその妻の戸浪の苦悩との対比も見どころかと。
松王を吉右衛門、源蔵を幸四郎 千代を菊之助 戸浪を児太郎が演じる。
中幕に勧進帳。
弁慶を仁左衛門と幸四郎、富樫を幸四郎と錦之助 義経を孝太郎が演じる。
切が松浦の太鼓
忠臣蔵のスピンオフみたいな作品。
討ち入りを巡って殿様松浦鎮信のドタバタぶりを描く。
ストーリーよりも役者の芸で見せるのが見どころかと。
松浦鎮信を歌六 大高源吾を又五郎 お縫を米吉 其角を東蔵が演じる。
天神寄席 能と落語の源平合戦
25日の日曜日に繁昌亭にて天神寄席を聞く。
毎月25日の天神様の命日に因んで開かれる寄席です。
今回は途中の鼎談に能楽師の山本能楽堂の山本章弘さんを呼び、源平合戦に絡んだ落語がその前後を挟む。
はじめは吉坊さんの「高砂や」
結婚式の高砂やの謡をめぐる落語。
吉坊さんの落語は何度かきいているがしばらく聞かないうちに落語のトーンがチェンジしたかなと感じながら聞く。テンポよくサゲまでさらさらと持っていくのがいい。
松枝さんの「袈裟御前」
これは文覚上人に因んだ落語で冒頭で松枝さんがいってたようにサゲがばかばかしい。
そうはいってもところどころで小話を入れて進めていくあたりはなかなかの力量です。
坊枝さんの「舟弁慶」
能の舟弁慶を夫婦喧嘩にとりいれた落語です。
丁寧に演じているが枝雀さんで聞いているためがパワーの足りなさが目立つ。
鼎談
能楽師の山本章弘さんを招いての鼎談。
能はお客さんに冷たい演劇であること、能は室町時代のことば、やり方をそのまま受け継いでやっているのでよくわからないとのこと。
能は見ていて感性が受け入れるのであれば好きになれるとのことです。
感性が受け入れられるかどうかが古典芸能を見ていくためには大切なことかと思います。
銀瓶さんの「景清」
目が見えなくなった職人さんが目が明くことを神社に願掛けをしてさまざまなトラブルにあいながらも目が開くという落語。
銀瓶さんの落語は去年あたりからちょくちょく聞いている。
丁寧で淡々とこなしていく落語がいいです。
しかし所々で睡魔に襲われて寝てしまうわたしがつらかったです。