tatsuro1973の日記

歌舞伎、文楽、落語を中心に古典芸能について綴ろうと思います。それと日々の暮らしについてもです。

1月27日の日記

朝刊、夕刊とこなしていく。
雨混じりの荒れた天気、夜には強い風が吹いていく。
病院の清掃が午前中にあったが、血糖が朝食前に血糖が300超えたので休むことにする。
産経の社説でミャンマーのアウン サン スー チー国家顧問が中国の習近平国家主席との会談についてスー チーに失望したとして社説で批判している。
これは中国の巨大経済圏構想「一帯一路」を通じた経済協力、それに伴う中国がミャンマーを経済援助と称して巨額の援助してミャンマーを取り込む意図が見え隠れしているからこそ批判を浴びせている。
ミャンマーは国際裁判でイスラム系のロヒンギャへの弾圧、中国はウイグルはじめ、チベットなどの民族弾圧といった問題を抱えている。
今回の会談でミャンマーのインフラ開発推進で合意している。
スー チーはかつてミャンマー民主化に大きく貢献で世界の注目を浴びる。
今回のロヒンギャ、中国との経済協力で国際的にその評価を下げている。
個人的にはこれがどう意味するものか、判断をつきかねる。
朝日が土曜日、25日の社説でミャンマーロヒンギャ、スー チーさんの対応を批判している。
日経は、オピニオンで世論の中庸の世論の作り方をどのようにしていくべきかを問いかけている。
ネットが世論の主流の流れにありつつなかで、新聞や論壇などのメディアがかつてのような世論が作れるのか、正直厳しいところがある。
以前はメディアが情報を発信 操作できる立場であったが、個人やネットが自由に発信できる状況ではかつてほどの勢いをなくしている。
個人は中庸に世論を求めるよりも、自分の都合のいい意見に合意することで世論の形成を託している。
以前はメディアが情報には精査していたが、個人が自由に情報を発信できる時代では個人が情報に精査していかないといけない。このごろはネットの煽ることで多くの共感を得ようとしていくことに今度はメディアが煽ることで自らの意見に共感を
求めようとしている。
個人としては複数のメディアやネットの情報を読みこなすことで中庸を求めていくしかないのかもしれない。