tatsuro1973の日記

歌舞伎、文楽、落語を中心に古典芸能について綴ろうと思います。それと日々の暮らしについてもです。

11月2日の日記 #教育格差 #えらいてんちょう #YouTube

一日弁当屋での仕事をこなしていく。
合間、合間にコーナン業務スーパーなどに立ち寄って買い物をこなしていく。
業務スーパーで買い物をしていて、野菜の値段がどうなるか気にはしているが
いまのところそれほど極端に値上がりはしていない。これからどうなるのかはわからないけれども。
日経のコラム 春秋を読んでいて、格差を変えられるのは、教育でしかないというボランティアの学生のコメントに
心に響く。
教育が格差を変えられるのは事実である。
学歴、高い教育を受けることができれば上の人間といろいろ渡り合えるのは可能である。
それができなくなっているのも現実である。
勉強することの意味、それが結果としてどうなるのかを教育現場が生徒たちに言っていない。
言っていないからやっていくことの意義を見出すことができずに勉強への意欲をなくしてしまう。
あと、集団で授業をうけるためか、みんな同じであればいいという日本人の持つ意識が教育の受ける意味合いを
ばやかしてしまうのかもしれない。
反知性によってやたら勉強できることが否定されていることもある。
勉強ができないことを堂々と誇りされるのもいかがなものかと考える。
塾で生徒に教えそれているが、勉強をできないことを当たり前のように受け入れてしまっている、親も子供も
身の丈に合って生きるように強いられている。
何も萩生田文科相の発言が問題視されるべきではなく、問題視されるのは、現場で教えている教育者であり
日本の社会である。
萩生田文科相の発言に怒りを覚えることはない、私個人が怒りを覚えているのは教育現場の関わる人々である。
お前らこそ、多くの子どもに身の丈に合わせた生き方をしいていいるのではないかと。
YouTubeでえらいてんちょうさんのメディアリテラシーについて考え方にはなるほどである。
メディアとは物語をやっていくものであるというコメントには納得がいく。
メディアはそれぞれの立場でそれぞれの都合で物語をやっていく、これは自分も感じてきたことである。
これがあるのでこのごろはメディアに正義や何かを求めることはなくなった。
メディアのいいことは裏付けのある情報である。
怖いのはネットの情報でこれこそリテラシーを持つべきなのかもしれない。